38歳~もう一度~(十二)

私”ゆず39”(ゆずさく)の 病名は、 ”Ehlers–Danlos syndromes ”の「血管型」です。
病気が発覚して28年目を迎えました。

この病気は遺伝子の異常により、血管や皮膚・粘膜などの組織が弱く、”突然死”という心配が尽きない病で、 
心の内側にずっと不安を抱えながらも、無事に過ごしています。

生きていくのが怖い。でも、死ぬのはもっと怖い。
身動きが取れなく、くじけそうになり、時に自棄になりながらも周りの人たちに助けられ何とか過ごせています。

こんな人生もあるんだな。と気軽に呼んでもらえると嬉しいです。

また入院・・・

また入院

仕事を始めて3年が過ぎた頃、またお腹の痛みに襲われました。
脂汗が出て、息も苦しくなり恐怖を感じる痛み。

お腹の動脈瘤の解離。
主治医の先生から、
「手術するのは危険すぎるので、少し様子をみましょう。」
と言われ、数日おきにCT検査をしました。

私は造影剤のアレルギーがあるので、検査自体が毎回怖かった。

そして、絶対安静・絶飲絶食。

集中治療室で24時間、血圧管理と心電図やおしっこの管が入り、大人しく過ごしました。

集中治療室の面会は、1日2回で1回20分と決まっていた。

毎回欠かさず来てくれるS君に笑顔を見せることもできず、泣くかボーっとしている日々でした。

リハビリ

リハビリが心の支え

ずっと寝ていたので、血流が悪くなるのも心配でした。

主治医の先生から、「ベットの上で出来るリハビリを少し始めようか。」と言われた時は。”体が動かせる”と嬉しかった。

リハビリの先生が来て下さり、1日15分程度少し体を動かせる事が心の支えになりました。

10日過ぎた辺りで、流動食が食べられるようになりましたが、お腹の痛みが出てしまいすぐに中止に。

そして3週間が過ぎた頃に流動食を再開し、痛みも出なかったので、一般病棟に移る事になりました。

一般病棟に移ってからは、リハビリ室に行くことが出来、有酸素運動や、優しい筋肉トレーニングもした。

リハビリの先生達も励まして下さり、とても心強くなりました。

退院

不安で仕方がない

入院して1ヶ月以上が経ち、季節も初夏から夏の終わりが近づいた頃、退院が決まりました。

しかし、動脈解離がおきたところは、万全ではない。日にちが経ち落ち着くのを願うばかりでした。

落ち着いて血流が半分は戻ってくれたら良いですが、その保証はない。

血流が悪いと、解離したところに圧がかかる。そしてまた更に裂ける可能性もあった。

退院してからが、精神的に辛かった。何か起こっても、すぐに先生や看護師さんはいない。と思うと、不安で仕方がなかった。

1週間に一度リハビリに通わせてもらう事が出来たので、知った先生達に会えて、そこでは笑顔になれました。

でも、家では不安で不安でS君に笑顔を見せる事ができなくなっていました。

ストレス

ストレスがぶつかり合う


リハビリは、半年しか通う事が出来ない決まりでした。

半年が経ち、これからは自分で教えられた事を守り運動を続けて行かなければなりません。

S君は、一緒に頑張ろう!と言ってくれ、スポーツセンターに2人で通う事にしました。

でも、不安は募るばかりで、毎日しょっちゅう血圧ばかり測るゆず39に、母は心配していました。

何もする気になれず、何も興味が湧かず、誰とも会いたくなく、喋りたくなくて、、、

S君は一生懸命明るくしようとしてくれていましたが、それに応えようともしないゆず39と大喧嘩になりました。

でも、これはこれで良かった。

やっと、「このままではいけない!」ともがき始めたから。

少し兆しが見える

雪解けの兆し

一年が過ぎた頃、検査でお腹の血流を確認してもらうと、半分以上血流が戻っているとのこと。

主治医の先生もとても喜んでくださり、やっと少しだけホッとできました。

そして4年が経ち、やっと何か夢中になれるものはないか。そう考えられるようになりました。

一番に思ったのは、やはり仕事。でも、とても無理。怖い

家で何か出来ないか。とクラウドワークなど登録して、出来そうなものをやってみた。

在宅で初めての経験だったので、色々調べたり楽しかったけど、やはり仕事場に行って人と関わりたかった。

人と関わると嫌なこともあるし、気も遣う。けど、それが無性に懐かしくなった。

スーパーに買い物に行っても、病院に行っても、働いている人の姿を見て羨ましくて、眩しかった。

私もあんな風に働きたい。思いは日に日に強くなっていった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする