38歳~もう一度~(十三)

私”ゆず39”(ゆずさく)の 病名は、 ”Ehlers–Danlos syndromes ”の「血管型」です。
病気が発覚して28年目を迎えました。

この病気は遺伝子の異常により、血管や皮膚・粘膜などの組織が弱く、”突然死”という心配が尽きない病で、 
心の内側にずっと不安を抱えながらも、無事に過ごしています。

生きていくのが怖い。でも、死ぬのはもっと怖い。
身動きが取れなく、くじけそうになり、時に自棄になりながらも周りの人たちに助けられ何とか過ごせています。

こんな人生もあるんだな。と気軽に呼んでもらえると嬉しいです。

2020年1月の決心

2020年を迎えました。
この5年近く毎日”死”を意識して恐怖と共に過ごしてきました。

何をするにも”死”を考え、何もする気になれず、どこにも行きたくなく、毎日緊急ボタンと共に過ごした日々。

特に冬は血圧管理が難しかったのですが、今年の冬は暖冬で割と元気に過ごせたお陰か、ウォーキングに行く回数が増え、体力が少しつき、食べる量が増え、心が前向きになっていきました。

すると、「このまま死ぬことだけを考えて生きていくのか」と思い始め、何となく求人情報をネットで検索していました。

「私が働けるわけがない。また迷惑かけるし」と思いながら、検索する手が止まりません。
そして、”やっぱり働きたい!もう一度働いてみたい!”と強く感じました。

5年間後ろ向きに過ごしていたからか、性格がいじけてしまい、S君や両親と話していても否定的なことばかり言うようになっていたのです。

私にとって、そこから抜け出す手段は仕事をすること!でした。

早速、主治医の先生に相談。
すると「いいんじゃない。家にばかり居てもね。無理しないようにね!」と言って下さり、心が決まりました。

本当は、「う~ん。。。」って言われるのかな。と思ってたので、これは有難かった。

まぁ、この病気は何をしたらダメとか何をしたから良いということでもなく、倒れる時は倒れるから、自分の思うように生きなさい。という事だけど。

でも、背中を押してもらえました。自分の中でもう無理だと決めつけてただけなのかもしれない。と思い、どんどん前向きになれたのです。

47歳、持病を抱えての職探し

難しい職探し

と、私が働く決心をしたところで、雇ってくれるところがあるのか。。。

それは大問題でした。

何より、体の事を考えると週3日で半日程度働くのが限界。
しかも、立ち仕事と力仕事は無理。となると事務職。
でも事務職は主婦にとって大人気。

47歳持病ありで何の取柄もない、、、
だから、土曜日出勤、夕方遅く勤務可能。で手当たり次第応募しました。

そんな時、ハローワークで近所の薬局の事務の募集が目につきました。
「経験者優遇ですが、初心者でも丁寧に教えます」
と書いてあり、すぐに飛びつきました。

職安の人に「薬局の事務は経験者でないと、難しいと思いますよ」よ言われましたが

「聞くだけ聞いてください!」と食らいつき、面接にこぎつけました。病気のことはある程度話しておくつもりでした。

そこは個人の薬局で、薬剤師の先生が経営者の方で、1時間も面接しました。

とても素敵な方で、病気のことを全部話した方がいいと思い、病名や急に体調を崩すことも正直に言いました。

結果は、後日連絡しますね。と言われましたが、やっぱりダメだよな、、、と次を探していたら、電話がかかってきて「試しに来てみませんか」と!

「ゆず39さんも、この仕事をやってみて、出来そうか。そしてうちの薬局の人たちとも仲良くやっていけそうかどうかみて欲しい。」と言われ、本当に有り難くて!

「ぜひ、頑張りますのでどうぞ宜しくお願い致します」

とお返事させてもらいました。

新しい職場

一期一会

新しい職場は近所の薬局で、皆さん本当に素敵な方達ばかりでした。こんな風になりたいな。と仕事以外でも人として学ぶ事が多くありました。

仕事内容は、覚える事がとても多くかなり悪戦苦闘した。引継ぎはしっかり3ヶ月設けて頂き、何度も丁寧に叱咤激励しながら教えて下さいました。

新しいことばかりで、出来るようになるか冷や汗をかく毎日でしたが、とにかく楽しい!!!

先生は、いつも温かく見守って下さり、周りの人達にも、頑張ってるね!と、声をかけて頂き、もう嬉しくて!!!

この職場でずっと長く働きたい!そう強く思い、教えて頂いたことを家でノートにまとめる時間さえ楽しくて仕方がない。

私生きてるんだな!と実感し、毎日スキップしたくなるほど体がどんどん動いていく感じでした。

3ヶ月が経ち

職場の人達に恵まれて

引継ぎも終わり、周りの人たちに支えられながら、何とか独り立ち。

来局者さんが少し途絶えた時に、皆んなで他愛無い話をするのも楽しく、どんどん元気になっていくように思いました。

最初は、仕事から帰ったらグッタリしてたけど、半年もすると全然平気になり、調剤事務の本を買って勉強したりもしていました。

S君の実家は県外で遠いので、なかなか行くのも躊躇していましたが、自分から行こう!と思え久しぶりに嬉しかった。

薬局で働き始めたことを、薬剤師である義母も喜んでくれ話が弾みました。

好きだったミュージカルやドラマにも夢中になり、仕事もプライベートも充実した時間を過ごせ、主治医の先生に「最近とても元気なんです!」と報告でき、喜んでもらいました。

そして、、、

そしてまた…

仕事を初めて8ヶ月が経ち、まだまだ覚えることは山ほどありましたが、毎日の業務を何とかつかめてきました。

もう、病気治ったんじゃない?なんてS君と笑う日も多くなり、幸せだな。と感じる日々は束の間でした。

ある夜寝ている時に、激痛で飛び起きました。すぐに救急車を呼んでもらったけど、もう、痛いしか言えない。

やっと来た救急車の中で、どんどん意識が遠のいていく。痛い。苦しい。痛い。痛い。痛い。

もうこれが最後かも。と思いS君に何か言おうとするが、痛くて何も言えない。「もう無理かも」その一言がやっとでした。

病院に着いた時、少し意識がハッキリして、何とか生きて病院まで辿り着けた。と安堵した。

そこからは、あっという間。挿管され、意識は無くなった。

血圧が下がり、かなり危険な状態だった。と後から聞きました。

助かる!

助かる

目が覚めた。が目が開かない。体も全く動かせない。

お昼寝してまだ寝ぼけてるのかと思った瞬間、「ゆず39さーん。ゆず39さん!」といろんな人の叫ぶ声。

アッ

昼寝じゃない、と思うと同時に恐怖が一気によみがえり、背筋がゾクっとした。

そして、目が開いたと同時に挿管の管が抜かれた。

あっという間の出来事で、挿管の管を抜いたと同時に、血の痰が出てきて、看護師さんがティッシュで拭き取ってくれた。

その後少しして、歯磨きをしましょう。と言われ寝たまま横を向いて磨いた。こんなすぐに歯磨きするとはかなりビックリしましたが、口の中が血の味がして気持ちが悪かったので有り難く思いました。

そして意識も大分ハッキリしてきたら、恐怖が込み上げてきて、「もう頑張れない。無理だから」と叫んでいました。

動けるようになるのか?元通りになるのか。不安で仕方がなかった。

夜中、他の手術がやっと終わった先生が来てくれて、「立てるようになる?」と聞いたら、「大丈夫よ」と微笑んでくれたので、すっかり安心して力が抜けた。

今回血管が破れたところは、脾臓と繋がっている動脈。造影剤で検査して、血管内治療を始めようとすると、血が既に止まっていたらしい。

普通なら、ステントを入れて破れた血管を補強したりするのですが、私は血管がもろいので、それさえ危険になります。

幸い、血も止まっていたのでそのまま何もせず様子を見ることにした。と教えてくれました。

そんな話を先生に聞いて、少し気持ちが落ち着きました。

もう10年近く診て頂いている、とても信頼おける先生なので本当に有難いです。

その後、鼻の管も抜いてもらえて、水も飲めて、体も45度くらい起こしてもらえ、すっかり生き返った感じでした。

一般病棟

心が救われる

今回は翌日からご飯も食べられるようになりました。

これには、びっくり。ただお腹に漏れた血がたくさん溜まっていたので、食べると腹痛が起きて数日悩まされました。

夜になると、血管の裂けるあの痛みの恐怖が襲ってきた。またいつ来るかと恐ろしくて仕方がなかったのです。

何かに捕まっておかないと、闇の奥底に引きずり下ろされてしまいそうな感覚に陥った。

本当は、誰かに手を握っていて欲しかったのですが、仕方がないのでベットの柵とナースコールを片方ずつの手で握っていました。

そして検査の結果、一般病棟に移れる事になり順調にいけば早く退院出来そうな感じでした。

リハビリもまた始まり、とても張り合いが出ました。リハビリの先生は前回入院していた時に担当してくれた先生で、とても安心できて心強かった。

一般病棟に移ってすぐにリハビリの先生が、「今回も宜しくね」と顔を見に来てくれて、ゆず39は泣きながら「また入院したよ。すごく頑張ってたのに。また振り出しに戻った。」と吐露出来て、気持ちが少し軽くなりました。

シャワーもすぐに浴びれるようになり、恐る恐る浴びました。
とても疲れたけど無事に済みホッとしたのですが、その夜背中から胸のあたりまで一周グルッとものすごく締め付けられるような発作が起こり、息も苦しく脂汗をかきました。
結局原因は分からず、何度かこの発作にも冷や汗をかかされました。

そして1週間が経ち、結果が思わしくない。見た目は少しずつ元気になっているようなのに、お腹に溜まってた血が減るどころか増えている。

造影剤の検査の他、血液検査やエコー検査をしても原因が分からない。

ゆず39はとにかく血管が弱い。だからとにかく最低限の治療しかやらない方がいい。

何もしないのが一番いい。

様子を見るしかなかった。

2週間後。検査結果でまた血が増えていた。

でも食欲も出てきて痛みも出なくなっていたし、他の検査では異常がない。

このままでは、怖くて退院出来ない。職場復帰は無理かも。そう思い始めた。でもあまり考えると血圧が上がりそうなので、とにかく考えないようにした。

職場の人たちも、「元気になるまで、ずっと待ってるから。とにかくみんなで待ってるから」と嬉しい言葉を頂き、ゆず39も頑張って復帰しよう!と改めて強く思い頑張れました。

そして3週間後の検査の結果、少しお腹に溜まっていた血が減ってきた。

それを機に退院が決まりました。

治った訳ではない。落ち着いてきただけ。それに、これからもずっとこの病気は続く。いつどうなるか分からない。

でも、もう今回助かった事だけを喜んで、生きられるだけ頑張ろう。そう考えるようにした。

けど、この病気の事を分かってはいるけど、やっぱりイザとなると泣き喚くと思います。覚悟なんて出来ない。

感謝

感謝

入院する度に感じることは、とにかく先生、看護師さん、リハビリの先生に支えられているということ。

主治医の先生は、顔を見るだけでホッとするし、リハビリの先生も心と体のリハビリを助けて下さいます。

それに他の先生も、色々とフォローして下さり、面白い映画を教えてくれたり、他愛のない話をして和ませて下さいました。

そして看護師さん。もう動けない時なんてナースコールだけが命綱。体のケアから何から何まで本当にお世話になりました。そしてさり気なく心もフォローして下さいます。細かい気配りに心がどれだけ救われたか知りません。
頭が下がる思いです。

そして、家族。

実家の母や父にも感謝しています。重たい荷物を届けてくれたり、毎日メールをくれて。

コロナで面会が出来ないのがもどかしかった。

そしてS君。面会出来ないと分かっていても、食べたいものや、退屈しのぎになるものを、せっせと持ってきてくれました。

S君自身が挫けそうになりながらも、いつも必死に笑顔で励ましてくれています。

どんな時も寄り添ってくれます。

私は健康にはあまり恵まれませんでしたが、人との出会いにはとても恵まれたと感謝せずにはいられません。

いつまで会えるか、一日一日を大切にしていきたいと思っています。
が、
元気になってくるとこれもまた忘れてしまいますね、、、

それもまた良し。かな。。。

続く

私”ゆず39”(ゆずさく)の 病名は、 ”Ehlers–Danlos syndromes ”の「血管型」です。病気が発覚して29...

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする