不安に押し潰されて(十四)

私”ゆず39”(ゆずさく)の 病名は、 ”Ehlers–Danlos syndromes ”の「血管型」です。
病気が発覚して29年目を迎えました。

この病気は遺伝子の異常により、血管や皮膚・粘膜などの組織が弱く、”突然死”という心配が尽きない病で、 
心の内側にずっと不安を抱えながらも、無事に過ごしています。

生きていくのが怖い。でも、死ぬのはもっと怖い。
身動きが取れなく、くじけそうになり、時に自棄になりながらも周りの人たちに助けられ何とか過ごせています。

こんな人生もあるんだな。と気軽に呼んでもらえると嬉しいです。

無事退院

喜びと不安

2020年10月14日の夜中に脾臓動脈破裂で入院して、11月11日に無事に退院しました。

ゆず39は47歳になっていました。

帰れたのは嬉しかったけど、毎日が不安で不安で仕方がなかった。

毎日の食事や洗濯もままならない。
そんな時、S君(夫)はご飯を作ってくれたり、洗濯も手伝ってくれたり、何から何まで文句一つ言わずに支えてくれました。

とにかく頑張らなければ!
早く元気にならないと!
と思っていたのですが、12月9日の夜中にまた息が詰まるような痛みがあり、救急車で運ばれました。

幸い大事には至らなかったのですが、念のため安静にして10日後には退院できました。

年内に仕事復帰を。と思っていたのですが、なかなか思うようにいきません。
また入院したこともあって体力も奪われたのですが、年末年始はS君がお雑煮や煮しめ、ぜんざいを作ってくれて、とても幸せを感じました。

無事に2人で年を越せる喜びと、何よりS君の優しさにどれだけ救われたか分かりません。

仕事復帰とスランプ

スランプ

2021年1月25日無事に仕事に復帰。最初は順調に回復しているようだった。
気候が良くなってきた5月には、少し遠出してドライブしたり公園や尾道の町を散歩したりして元気になってきたな。と思っていました。
でも日が経つにつれて、あの日に痛みと恐怖がフラッシュバックしてきた。
6月には「生きるのが怖い」と思うようになり、その思いがどんどん強くなっていきました。

何がいけなかったのか。きっかけは少し頑張り過ぎたことかもしれない。
もっと元気になりたい。と焦ってウォーキングやストレッチやバランス運動に取り組んでいたし、仕事も休んでいた間に忘れていたことも多かったので、家で勉強したりしていた。
それが、突然何かが弾けたように何もできなくなった。
7月になると毎日泣くようになり、S君に申し訳なく思うようになった。仕事を続けていくのが困難になり、起き上がるのさえしんどくなった。

それでも何とか気合をいれて仕事に行ったけど、帰ると何も出来ないほど疲れ切って、ご飯も出来合いのものさえ何を買って帰ったらいいのかもう分からなくなっていました。

21年前の手紙

今までどうやって乗り越えてきたんだろう。
もう辛い。としか思えなくなった。
でも、S君はいつでも支えてくれる。二人で頑張らないと。そう思い過去の日記を読み返したりしてみたけど、今の自分には何も響かなかった。

そんな時、21年前に入院した時にもらったS君からの手紙が出てきて久ぶりに読み返してみました。
まだ結婚する前にもらった手紙で、この手紙にどれだけ支えられたかを思い出した。

若かったな。その分気力があった。S君の些細な一言一言が心に響いて原動力になっていました。今もS君は変わらず支えて励ましてくれる。それなのに今のゆず39はそれに応える気力がもうなかった。

それがまた自分を苦しめた。

不安障害

不安

9月になると、不安で一人で出かけることが出来なくなってきた。仕事は辞めたくない。でも行けれないのでもうどうしようもない。職場に電話して、6月から体調が悪く辞めさせて欲しい旨を伝えた。
雇い主の先生から意外な言葉が返ってきた。
「そんなに体調が悪いことに気が付かなくてごめんね。もう一度数か月休んでから、その時もう一度復職できそうか辞めるか考えるのはどうかな?」

有難くて涙がどんどん溢れてきた。この職場をどうしても辞めたくない。そう思った。
職場の人たちと相談して、週に1回、3時間だけ出勤することになった。休むことも考えたけど、せっかく覚えたことをまた忘れてしまうのが怖かったから、何とか少しだけでも出勤させてもらうのが良いと考えた。

仕事は1週間に1度、午後から3時間のみ。仕事の日の午前中はとにかく何もせず寝て、ご飯はS君に買って帰ってもらったり、冷凍しておいたカレーを食べたりして何とかしのいだ。

仕事でない日はとにかくベッドで横になっていた。色んなことが気になり始めて不安に襲われた。
胸の奥に鉛が詰まっているようで息苦しく、しんどくて仕方がなかった。

生きているのが辛い。何であの時、助かってしまったんだろう。あのまま死んでいれば楽だったのに。そう思ってしまうようになり、更に自己嫌悪に陥った。

何もしたくない、何も考えられない、何も決められない。もう不安を抱えて生きていくのが辛くてしんどくて仕方がなかった。

ご飯が一番困った。何とか買い物に行っても何を買っていいか分からない。メニューが決められなかった。

S君に曜日ごとに簡単に作れるものばかりの献立表を作ってもらい、毎週同じものを作った。

S君は早く帰れた日は料理をしてくれたり、毎日洗濯もしてくれました。

2022年を迎え

夢を見た。また倒れて入院している夢だった。集中治療室で横になっている私は、ひたすらS君に会いたい。と叫んでいた。ハッと目が覚めて、涙がこぼれていた。やっぱり死にたくないんだな。S君と一緒にいたい。そう思った。

だからなるべくウォーキングするように心がけた。歩いていても自然に涙があふれ出ることもあったが、とにかく少し体を動かした。

そして、母に泣きながら今の辛い思いを伝えました。生きているのが辛いなんて言ったら、母を悲しませる。と我慢していましたが、母はしっかりと話を聞いてくれ心が救われました。

心療内科にも通いました。不安を軽減させる薬を出してもらい飲み始めた。更年期障害でも不安が強くなるようなので、婦人科にも通い漢方を出してもらい飲むようになった。

一進一退

精神安定剤や漢方を飲むようになって、少し気持ちが落ち着いて来たようにみえた。

だけど、フッと大きな不安が押し寄せる。S君がいなくなったらどうしよう。生きていけない。そう思うようになり、追い詰められることもあった。

S君が会社に行ってる時やS君が遠くに出張に行った時には特に、S君に何かあったらどうしよう。と怖くて仕方がなくなった。

S君の健康のためにもご飯をちゃんと作らなければいけないと、更に思い詰めた。

でも空回りして、仕事も家のこともなかなか思うようには出来なかった。

こんな日々をいつか抜け出せるのか。S君は「なるべく楽しいことだけ考えて、出来ることをして一緒に大切に生きていこう」と言ってくれた。

まるで自分の都合のいいような夢を見ているようだった。こんな旦那さんに支えてもらって生きていけたら。と自分の空想で作り上げた世界ではないかと思うことさえあった。

スランプに陥って一年が過ぎていた。

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