21歳~27歳!新たな道を~病気の本当の怖さを知るまで~(五)

私”ゆず39”(ゆずさく)の 病名は、 ”Ehlers–Danlos syndromes ”の「血管型」です。
病気が発覚して27年目になりました。

この病気は、血管や皮膚・粘膜などの組織が弱く、”突然死”という心配が尽きない病で、
心の内側にずっと不安を抱えながらも、無事に生きています。

病気が分かってからの人生は今までと全く違うものとなり、新たな道を進みます。
今回は、病気を抱えながらの仕事・遊び・恋愛など体験談を書きます。

こんな人生もあるんだなと、気軽に読んでいただけると嬉しいです。

第一歩を踏み出す

新たな道へ

病名が分かって三ヶ月が経ちました。

まだ落ち込んではいましたが、
この一年ずっと手術のことが頭から離れなかったので、もう手術しなくていいんだと思うと気持ちは楽になった。

ストーマ(人工肛門)をつけたまま、これからどう生きていくか。
そんな大きなテーマでは、何から考えればよいのか見当もつかなかった。

ただ、 今まで考えていたような普通に就職して、結婚するというのではないな。
と漠然と思いました。

1990年代だったこの頃はネットなどなく、情報を得ることは個人では難しかったので、
ストーマというのも病気をして初めて知ったし、若くしてつけているのはこの世でゆず39一人だろう、くらいに思っていました。

だから”絶対に絶対にこのことは誰にも知られたくなかった。”

でも、案外周りに悟られずに過ごすのは難しいことではなく、
もうすでにストーマをつけて学校にも通ったし、特に何も問題なかった。

そう考えているうちに、
病気をする前に友達と免許を取りに行こうとしていたのを思い出しました。

車は密室なのでストーマの事は気になったけど、

”身に付けれるものは付けておいた方が良い”と考え、行くことにしました。

幸運だったのは、案外楽しめたこと。
何事もなく無事に、そしてとても楽しく教習所に通うことができ、免許を取得しました。

これで、一つ自信がついた。
自分で運転するのは思っていた以上に楽しく、 早速安い中古の車を買い外出することも増え、父や母ともドライブに行った。

父は「怖いな~」と言いながら、運転しなくても良いからお酒が飲める。と嬉しそうで、母も「安全運転でお願いします!」と笑っていた。

次は、とにかく早く社会に出て経験を積まないと。と思い職業安定所に通った。

N先生との出会い

胸の内を吐き出せる

もう一つ、心強い味方が出来ました。
それはETナースと言って、 人工肛門・人工膀胱のケアを専門領域とする認定看護師N先生との出会いでした。

当時ETナースの資格は日本では取得できず、海外で勉強して取るしかない非常に珍しい存在で、出会えたことが幸運でした。

N先生から、全国にストーマをつけて生活している方はたくさんおられ、若い人もいるのよ。
と聞いて、自分だけが・・・と思っていたことを恥じました。

ケアの仕方から悩みまで、常に頼れる存在で、
思いの丈を存分にぶつけることが出来ました。

どうしようもなく落ち込み、心のやり場に困ったときN先生に手紙で、

「私は普通に結婚して子供を産んで、普通の幸せが欲しかっただけ。どうして私なの?体の事なんて誰にも言いたくないし、分かってなんかもらえないし、もらいたくもない!」

と、書いて出したこともありました。

こんなこと誰にも言ってはいけない。前をみなきゃいけない。と思っていましたが、一度吐き出せてよかった。

N先生は、慰めるとか励ますとかではなく、
「そうだね。そうだよね」と大きくふんわりと受け止めてくれたのが救いになりました。

N先生は、ずっと今でも私にとって大きな存在で、事あるごとに助けて頂いています。

仕事を見つける

働く難しさと働ける嬉しさ

仕事を見つけると言っても、正社員は無理でした。
大きな手術を三回も立て続けにしたので、体調を崩すことが多かったし、誰にもストーマの事を知られずに働きたかったから。

それなら、色々な仕事を経験してから最後に何の職で生きていくかを考えるのも悪くないと思いました。

恵まれていたのは、
父と母に、ゆず39が働かなくても何も心配ない、無理しなくていいよ。と言ってもらえたこと。

有難かった。
でも、そういうわけにはいかない。
自分の為にも、これならやっていける。というものを見つけて自信をつけておきたかったのです。

まず最初の働き口は、「不登校の子供のための学園」の事務職。
ここに決めたのはこの会社が良かったというより、通いやすく、仕事内容や時間的にも働きやすそうだったからというのが理由。

学園に入る生徒の事務手続きや、電話応対、雑務が主な仕事でした。

そして学園と事務所は離れており、学園の行事の手伝いやコミュニケーションの為、車で行くこともありました。

生徒と年齢が近かったこともあり、
一緒にバレーボールをしたり、友達のことや恋の悩みなど相談されるようにもなり、留年の経験があるゆず39は、少しは皆の悩みや不安も理解できるような気がして、力になれたら。
と思いました。

しかし、この学園は経営困難だったらしくあっという間に潰れてしまいました。

実のところ、ゆず39も最後の三ヶ月まともにお給料をもらえてなかったのですが、生徒のことが気になって辞められないでいました。

こうして、たった八ヶ月で最初の仕事は終わりました。

次は病院で働きたいと思い、眼科の検査助手としての仕事を選びました。
個人病院でしたが大変人気がある病院で、毎日たくさんの患者さんが来ていました。

ここには、独身でずっと働いている方もおられたので、私もずっとここで働けたら。と期待に胸を膨らませたけど、そうはいかなかった。

古い個人病院の古株の人たちばかりで、身勝手なルールをたくさん押し付け、陰湿で先生に媚ばかり売っている。

そんな中、体調を崩し暫く入院することになってしまい、長くは休めない雰囲気に辞めることにしました。

それから派遣社員という働き方が世に出始め、
ゆず39も派遣会社に登録して営業事務や経理事務、美術館の監視員まで様々な会社で働くことが出来ました。

ちなみに、色々な会社で勤めたので出会いもたくさんありました。

そして皮肉なことに秘密があるというのは、人の本性を分かりにくくし、少しだけモテる要素になった。

でも、ストーマの事、病気の事を知ってしまったら、大半の人がどんな反応をするのかが容易に想像できたから、
どんな状況においても、どんなにムードが高まっても、深くお付き合いをすることは絶対に避けていました。

体の事を言われて傷つくことを何よりも恐れて、自分の事だけで精一杯だったのです。

入院を繰り返す

痛み止めの注射が効いている間だけ眠れる

この間にも、入退院を繰り返していたので、仕事を続ける難しさを痛感していました。

数か月に一度はお腹の痛みがやってきた。
夜中に痛みで目が覚め、そこから朝方まで絞られるような痛みに生汗をかきながらひたすら耐える。
というのがお決まりのコース。

そんな時は、母が背中をさすったりしながら、ずっと付き添ってくれました。

大抵、朝方ころになると少しずつ痛みの感覚が長くなり、うつらうつらと眠っては痛みで起きて。を繰り返すうちに治まるのですが、
朝になっても痛みが我慢できないようであれば、病院へ行き入院。

入院は大体2週間程度で、絶飲絶食が何日間か続きます。

入院して3日間くらいは、とにかく痛みと嘔吐との闘いになり、ずっとのたうち回っています。
痛み止めの注射を打ってもらうと1~2時間くらいは少し楽になり、その間に睡眠を取るといった感じ。

しかし徐々にまた痛みが出てきて、またひたすら我慢。
痛み止めの注射は6時間くらいあけないと次が打てないし、一日に打てる量も決まっているので(3本だったかな?)、
効いている間が貴重な時間でした。

4日目あたりから、痛みが引いてきて今度は空腹との闘い。

最初は、お水を飲めるようになり、
やっとプリンを食べていい許可が下りると、涙が出るほど嬉しくて!
手を震わせながら食べていました。

何か手に職を

何か身に付けて自信を付けたい

そんな風に年に数回は突然入院をしていたので、
手に職をつけて細々とでもやれたら。と考えていると、

母の知り合いで、子供を育てながら速記の仕事をしている人がいるとの情報が。

速記とは、 特殊な記号を用いて、会議録やインタビューなどを書き記す仕事。

とても興味が湧き、派遣で働きながら速記を教えてくれる学校に通い始め、とても前向きになっていきました。

勉強する楽しさを味わい、心の支えになっていたけど、
時代の流れでこの仕事はなくなってきており、通っていた学校も三年後になくなってしまいました。

速記の仕事は少なくなってきていると聞いてはいたけど、たくさん仕事がなくても少しずつでも出来たらいい。と思って始めましたが甘かったようです。

また振出しに戻りました。

度々体調を崩すゆず39が働ける場所はそう簡単には見つからない。
会社で雇われるにしても、個人で仕事するにしても難しいと感じていました。

せめてもっと学生時代に勉強していたら、少しは道が開けたのかなと
悔やまれました。

ストーマを付けての生活は時々失敗することもあったので、働くのはとても神経をつかい大変だったけど、
会社帰りに友達とご飯を食べながら愚痴をこぼしたり、上司の悪口言うのは楽しかった。


私も人並みのことやれてるな、と思えるひと時でした。

続く・・・
https://yuzu39.com/byoureki6/









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