私”ゆず39”(ゆずさく)の 病名は、 ”Ehlers–Danlos syndromes ”の「血管型」です。
病気が発覚して28年目を迎えました。
この病気は遺伝子の異常により、血管や皮膚・粘膜などの組織が弱く、”突然死”という心配が尽きない病で、
心の内側にずっと不安を抱えながらも、無事に過ごしています。
生きていくのが怖い。でも、死ぬのはもっと怖い。
身動きが取れなく、くじけそうになり、時に自棄になりながらも周りの人たちに助けられ何とか過ごせています。
こんな人生もあるんだな。と気軽に呼んでもらえると嬉しいです。
念願の引越し
月に10日ほどでしたが、働きに出られるようになった頃、引越しを決めました。
ずっと引っ越したいと考えていたので、ここ3年くらいマンションのチラシを見るのが趣味に。
そんなある日、広告に出ていた中古のマンションが目につきました。
すぐに電卓を取り出し、値段と収入と貯金をSくん(旦那)と計算。
そして、その日のうちに見学に行かせてもらうと一目ぼれ。
古いが落ち着きのあるマンションで、買い物・通勤・銀行など生活面でも便利そうでした。
数日考えて、購入を決断。
結婚した時から、一度はマイホームを持ちたい!と願ってから12年。
この間色々考えました。
もし、ゆず39が死んだらローンの残った家はどうすればいいんだろう。 大きな手術をして、病気を抱えながら家を購入するのは怖くもありました。
だから、あまり負担にならない金額で抑えておきたかった。
そんな中、やっとこれなら何とかなる!と見つけた家。
住み始めてから6年近くなりますが、今でもここが大好きで気に入っています。とても心が落ち着く場所です。
容姿が変わったこと
仕事に行き始めて、こわばっていた顔が少し緩み、とても表情が明るくなりました。
それでも、両目に斜視が残り、左目は2/3しか開かず、見た目が随分変わりました。
それに加え年齢的にも変化が現われ始めたのと重なり、随分落ち込みました。
仕事中は割り切って、人の目を見て話せるのですが、昔からの知り合いに会うと顔を下に向けてしまいがちでした。
同窓会などに出るのが嫌になり、下を向いて歩いていました。
写真を撮るのも大っ嫌いになり、美容院に行くのも怖くて。
もう一つ悩まされたのは、左目の斜視が特にひどいため、まっすぐ見ているつもりが常に顔が右に傾いていたことです。
二重に見えるのはマシになりましたが、距離感が少し掴みにくい。
どの位置が顔がまっすぐなのか自分では感覚がつかめなかったので、写真を真正面で撮ることが難しかった。
だから写真を撮ると、いつも違う方を向いて写っています。
肩コりや背中の痛みにも常に悩まされ、顎まで痛くなり、もう悩みは尽きません。。。
容姿の変化は女性としては本当に辛い。
おしゃれするのが好きでしたが、何を着てもしっくりこず、お化粧をするのも嫌になり、鏡に映った自分を見るたびに胸を痛めてしまいました。
容姿の変化とともに、性格もひがみっぽくなっていくようでした。
S君は、お化粧をあまりしなくなったゆず39に熊野筆をプレゼントしてくれました。嬉しかった。
お陰で次第に、お化粧や髪型にも気を使うようになっていきました。
そして、採用してくださった会社には心から感謝し、雇ってよかったと思ってもらえるよう精一杯努力しました。
仕事をしている時は辞めたいと思う事もあるけど、やっぱり仕事をしていると余計な事は考えず仕事に夢中になるので有難いです。
大好きな旅行へ行く
仕事に慣れてくると、まだ出来るんだ!という自信につながりました。
そして、大好きだった旅行にも行きたい。と思うようになり、思い切ってS君と北海道旅行に4泊5日で行くことになりました。
脳外科の主治医の先生も、無理しないよう楽しんできて。と言ってもらえ、喜んでくれました。
こんなに長い旅行は新婚旅行以来らでしたので、嬉しくて仕方がなかった。
また、倒れたら…とか、体力的にも心配がありましたが、行きたい!と思う気持ちの方が強かった。
これは、元気になってきている証拠だな。とも感じました。
私たち夫婦は、「北の国から」の大ファンで、一度ロケ地を訪ねてみたいと思っていたので、行き先は富良野・美瑛と小樽に決めた。
レンタカーを借りて、パン屋さんでパンを買って丘の上で大地を眺めながら食べたり、ロケ地巡りや、ラベンダー畑、そして小樽ではお寿司を美味しくいただき、本当に有難い。と思いました。
富良野の夜はすごい雨でしたが、それさえ素晴らしい。と思えるくらい嬉しくて仕方がありませんでした。
ここまで来れたんだ!!!
そう思うと、感無量でした。
もともと旅行は大好きで、独身の時は海外旅行も何度か行きました。
飛行機にのって雲を眺めていると、日ごろの悩みなんか小さく思えて、おおらかな気持ちになったものです。
続く