水木しげるさんと言えば、妖怪漫画の第一人者であり、日本に「妖怪文化」を根付かせた漫画家です。
水木しげるさんは、作品だけでなく、独創的で型破りな生き方も注目されてきました。
ヒョウヒョウとした、お茶目で、とても素敵な方です。
2016年に93歳で亡くなるまで、水木しげるさんがモットーとしていた生き方は、現代の私たちに様々なことを教えてくれます。
そんな水木しげるさんの人生の考え方についてまとめました。
Contents
「水木しげる」さんのプロフィール
本名: 武良 茂(むら しげる)
生年月日:1922年 3月8日
出身地:大阪で生まれ、鳥取県境港市で育つ
愛読書:ゲーテ
「生死について、人間について、自分が抱えていた疑問に答えてくれたのは、ゲーテの言葉だった」
と語られています。
太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征、爆撃を受け左腕を失う。
復員後、
紙芝居画家となり、その後貸本漫画家に転向。
2015年11月30日に逝去(享年93歳)
代表作
「ゲゲゲの鬼太郎」、「河童の三平」、「悪魔くん」など
「水木しげる」さんの大切にしていたこと
とにかく、「寝ること」と「食べること」を大切にされていました。
「寝る」ことへの執着
水木さんは
「私は睡眠力は幸福力ではないかと思っている」
と言われていたのには、妙に納得しました。
睡眠をしっかり取ることでストレスも解消され、体も脳も休めます。
水木先生は睡眠の力を知っていらしたんでしょうね。
「食べる」ことへの執着
そして、大食漢だったようで
「ちゃんと食えば、幸せになる 」
という本も出しているほどです。
水木さんは、日常や仕事の情報などを伝えるツイッターに写真もよく投稿されており、
食べることが大好きなのもよく伝わってきます。
【とんかつバーガーを喰らう】包みを開けて手渡すと、指まで食べられそうな勢いでかぶりつき!野生の目でした…(汗)「がいにうまい!全部食ってしまうよ」と宣言しての完食でした(笑) pic.twitter.com/jcdOt8zmNt
— 水木プロダクション (@mizukipro) 2014年12月1日
92歳で、「野生の目」をしてハンバーガーにかぶりつく姿には、
・「流石の水木御大。衰えるどころか、目が未だに力強い」
・「生命力がハンパないな」
と、エネルギーあふれる姿に称賛の声があがりました。
「水木しげる」さんの幼少期
幼少期の水木さんは、近所に住んでいた「のんのんばあ」から妖怪や死後の世界についての話を語り聞かされ、
目に見えないことに興味を持つようになりました。
この経験が、後の妖怪作品を生み出す原点となっています。
子供の頃から独特の自分ルールをすでに持っており、
小学生の頃から、朝寝坊してゆっくり朝食をとり、たいてい2時間目くらいの時間から登校していたそうです。
相当肝が座っています。
流されずに自由に生きることは、ある意味とても勇気のいることで、自分で責任を持つ事です。
「水木しげる」さんの画家になる夢
すでに絵の才能を開花させていたものの、
他の成績が散々だったことから進学ができなかった水木さんは、
高等小学校卒業後、働きに出たが上手くいきませんでした。
その後 夜間中学に通いながら絵を描き、夢を実現しようと動き始めた時、日本に戦争の影が迫っていました。
そして水木さんは21歳のときに届いた召集令状により、ついに戦場へ行くこととなります。
「水木しげる」さんの戦争体験
太平洋戦争下のニューギニア戦線、ラバウルへ出征した水木さん。
敵の攻撃から逃げ回るのが精一杯で、食糧さえも枯渇しがちだった日々はまさに死と隣り合わせでした。
敵国から銃撃を受けた水木さんは、死にものぐるいで 逃げ回った後、マラリアを発症。
何日もの間高熱に苦しみ、その後空襲で左腕を負傷します。
軍医は治療のために麻酔などもない中、ナイフで水木さんの左腕を切り落とすことを決めます。
そして、命が助かり、奇跡的に帰国することができます。
のちに、水木さんは
「 戦争で片腕を失っても絶望なんてしなかった。だって生きてるんだから 」
とおしゃっています。
水木しげるさんの
本の中で、印象深い言葉があります。
自分一人で生きてきたようにみえるが、幾度となくくぐりぬけてきた危機を考えてみると、とても自分一人の力で生きられるものではない。いろいろな目に見えない親切の糸によって我々は生かされているのかもしれない。
引用元:水木しげる著:「人生をいじくり回してはいけない」
これは、全ての人に当てはまるのではないかと思います。
「総員玉砕せよ! 」
「総員玉砕せよ! 」は、 水木さん自らの戦争体験に重ねて活写する長篇コミック。
戦争の無意味さ、悲惨さを迫真のタッチで、生々しく訴える。
軍隊生活の日常が延々と描かれ、「笑い」と「いじめ」と「しごき」と「息抜き」がおもしろく描かれます。
「戦争」という「非日常」が「日常」になるということ、 改めて戦争は何も生み出さないことがわかりました 。
是非読んでみてください。
あまたの「戦争論」や「反戦論」よりも、共感を得られると思います。
「水木しげる」さんを支えたもの
左腕を失い、傷病兵として後方に送られた水木さんの心の支えとなったのは、島の原住民であるトライ族でした。
初対面にも拘わらず、たくさんの食べ物でもてなしてくれたことに感激した水木さんは、配給のタバコと果物を交換するうちに意気投合。
すっかり気に入られた水木さんは、たびたび兵舎を抜け出しては、彼らに会いに行くようになります。
水木さんは、トライ族の生き方に大変共感されました。
寝て、食べて、暑い昼間は木陰で涼んで、あとはぶらぶらして、踊って、笑う。働くのは生きるために必要な最低限だけ。何も持っていないけれど、楽しそう。
水木さんは、心を通い合わせたトライ族に、戦後も何度も会いに行かれています。
「水木しげる」さんの名言
10年ほど前水木がこれを描いた時の写真が出てきました。この時は当然ながら、この絵が水木の「お別れ会」で配るハガキになるとは誰も思わなかった・・・(泣)徳間書店のハイパーホビー+に掲載されたものです。 pic.twitter.com/oCvrQMEoCM
— 水木プロダクション (@mizukipro) 2017年9月11日
水木さんの人生は苦難も多く、戦争での悲惨な体験や、売れない漫画家時代を長く過ごした体験談も、とぼけた受け答えで悲壮感がありません。
しかし、それは
全てを受け入れ自分で解決していった芯の強さ
の現われだと思います。
真似はとてもできませんが、その考え方に「ハーッ!」と感銘を受けます。
ユーモア一杯でヒョウヒョウと、とぼけたふりをされる水木さんですが、人生の厳しさを知っているからこそ言える言葉があります。
苦しむことから
逃げちゃイカン。
人生はずっと
苦しいんです。
苦しさを知っておくと、
苦しみ慣れる。
これは強いですよ。
苦しみに慣れることが強みになる。なんて、なかなか思えません。
でも、逃げても自分が背負う苦しみは無くならないし、
逃げれば増えるばかりなのかもしれません。
目先のことにうろたえたり ヤケになったりしちょっては どうにもならんぞ。
人生にはいろんなことが起こって当たり前。
幸福だの不幸だのといちいち口に出さないほうがいい。
それらに一喜一憂するのではなく、放っておくことです。
と言われています。
人生をいじくり回しては いけない。
あわてずに ゆっくりやれ。
シンプルに生きる、
人間にとって本当に大事なことをわかっている人。
そういう印象です。
「水木しげる」さんが教えてくれたこと
「目に見えない世界を信じる」
この世には物質的な価値観ではとらえきれないものがあり、それこそがひとの心を豊かにしてくれるということです。
合理的なことばかりでは、面白みがない。
正しいこと、正義だけでは面白みがない。
「ゲゲゲの鬼太郎」は、
「不潔・がめつい・卑しい」 ねずみ男がいるから物語が面白くなると
水木さんはおしゃっています。
困り者のねずみ男であるが、どこか抜けているところがあり、何故か憎めないキャラクター です。
でも、誰でも立場が変わると、ねずみ男のようにすっかり態度や意見が変わることはよくあり、そこには悪気がなかったりするのかな。。。
「水木プロダクション」のツイッター
「水木プロダクション」のツイッターには、楽しい写真や情報がたくさんのせられています。
一気にファンになるような水木さんの写真もたくさんあるので、是非見てみてください!
まとめ
私はNHKの朝のドラマ「ゲゲゲの女房」で、水木さんご夫婦のファンになりました。
そして、水木さんの「幸福論」を読んで、とても素敵な生き方・考え方だな。と思い、すっかりファンになりました。
全く同じようにはできなくても、
こんな生き方もあると知ることは、ついつい凝り固まりがちな私たちの思考や心を柔らかくしてくれる気がします。