青春真っ盛り19歳!突然の体の異変~病名が分かるまで~(三)

私”ゆず39”(ゆずさく)の 病名は、 ”Ehlers–Danlos syndromes ”の「血管型」です。
病気が発覚して27年目になりました。

この病気は、血管や皮膚・粘膜などの組織が弱く、”突然死”という心配が尽きない病で、
心の内側にずっと不安を抱えながらも、無事に生きています。

なぜ私が……と思う気持ちと向き合ってきながら、
前向きになったり、感謝したり、自棄になったり、泣いたり、笑ったり。

これまでの経験を書きたいと思います。

こんな人生もあるんだなと、気軽に読んでいただけると嬉しいです。

成人式

20歳の喜び

入院8ヶ月目、ゆず39は成人式を迎えました。
早生れなので、当時は同級生より一年遅れての成人式。
(今は学年ごとで成人式しますよね)

しかし、去年同級生たちと皆で会場を借り切って、振袖を着てお祝いは済ませていました。
( 当然案内が来てない ので式には出れなかったけど)。

これは本当にやっておいて良かった。

今年は式に出席しようかと考えていましたが、もうそれどころでなはないし、どうでも良くなっていました。

そんな時、久しぶりの友達が「ゆず39は今年の成人式いかないの?まだ外出は無理?」
と連絡が。

そして、「一緒に行こうよ」と誘ってくれた時、自然と涙がこぼれ落ちました。

入院8ヶ月経ったこの頃には、外出許可も出るくらい歩けるようにもなっていましたが、
まだ食が進まず、なかなか点滴が外せない状態でした。

”絶対に、友達と成人式に行きたい!”

この思いを胸に、食べることに精一杯努力。
点滴を外すには食べるしかない。

そしてやっと24時間の点滴が外れ、先生からの許可も下り、晴れて成人式に行くことに!
振袖を着る体力はなかったので、新しい洋服を母も喜んで買ってくれました。

久しぶりのおしゃれに胸が高まり、友達とのお出かけに心が躍り、
すっかり頑なになっていた心が一気に緩んで解放されるのを感じました。

やっぱり、友達っていいな。

しかし会場の周りは大勢の人だかり。
体力をなくしていたので長くはいられず、カラオケに行くことになりましたが、久しぶりに笑顔いっぱいになれました。

こうしてゆず39の本当の成人式は華やかさはなくても、友達のお陰で本当に温かい気持ちになることができました。

これを機に、退院の話が進み始めました。

いよいよ退院

今の自分には、大海原で泳げる自信がない。。。

いよいよ退院が決まった!
去年の5月に入院して、10ヶ月が過ぎようとしていました。

まだまだ、お腹のガーゼ交換をしなくてはならず万全ではなかったけど、
先生がこれ以上入院していたら、心まで病む。
と、決断してくれました。

待ちに待った退院ですが、今まで手厚く看護してもらっていたのが大海原に投げ出されるようで不安も大きかったです。

課題はたくさんあった。

・ストーマがついたままである
・お腹のガーゼ交換に毎日病院に通わなければならない
・もう少し食を増やさなければならない
・輸血の際、肝臓も悪くしたので治療を考えなければならない
・すぐに腸閉塞を起こしそうになる

そして何より、

”なぜ縫ったところがどんどん破けるのか。”

大学病院で調べる必要がありました。

先生から、
まずは休んだままになっている短大を卒業して、
その間に体と心を元気にしてから、
大学病院の入院手続きをする方向で考えよう。と言われました。

そうだ、一先ず病気の事から離れてみよう。
先のことは考えないでおこう。

もう一度、短大生活始めよう

ひっそりと咲く花のように

1993年3月に退院をし、4月から短大2年生をやり直すことになりました。

しかし、同級生は3月に卒業していた。
入学した時から愉しみにしていた謝恩会にゆず39だけ行けず、袴を着る機会も失いました。
これだけは、今でも残念に思います。

復帰してからの短大生活は、味気ないものでしたが、
長く闘病生活をしていた為なのか、一人で過ごす時間は居心地良くもありました。

とはいっても、同級生でもう一人留年している”アイ”という子がいた。
あまり、学校に馴染めなかったらしく留年してしまったらしい。

アイは学校に来たり来なかったりしたけど、
通常から外れたもの同士それなりに仲良くなり、一緒にサッカー観戦にも行ったりしました。

他の人たちとも話をする様になり、コンパにも誘われたけどもう行く気にはなれませんでした。

この頃のゆず39の趣味と言えば、お墓参り。
お墓の前でご先祖様に手を合わせていると心が落ち着くような気がして。

卒業が近づき、大学病院の入院の話が本格的になってきました。

一度大学病院の外来で診察を受けておくように言われ、母と2人で朝8時に行ったが、
診てもらえたのは13時を過ぎており驚いた。

大学病院に行くのは初めてだったので、いきなり何か怖い検査でもされたらどうしよう。と青くなって待っていたので余計に待ち時間が辛く感じましたが、
診察は問診と入院後の検査のことについて話すだけでした。

そして診てくれた先生は、陽だまりのように朗らかでとても声が小さく柔らかい雰囲気で、ゆず39も母もいい意味で拍子抜けしました。


でも結局この先生は、入院して一度もお会いしなかったし見かけることもなかったのが今でも不思議です。


3月になりやっと卒業した。
と言っても、卒業式には出ず、証書だけもらい、
あとは、大学病院からベッドの空きを知らせる連絡が来るのを待つのみ。

入院前には桜を見に行けたのがとても嬉しかったけれど、これからの事を考えると、
とても儚く見え涙をこらえきれませんでした。

この一年間、毎晩欠かさず

「手術がうまくいかない原因が判明して、今度こそ無事にストーマを閉じられますように」

と100回唱えてから就寝していました。

手術はもう嫌だったけど、
このままでは生きていけない。と思っていたから。

続く・・・
https://yuzu39.com/byoureki4/



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